社会主義国日本 第1章:1_IT業界への就職と予期せぬ違和感 (ミクロ)
第1章 IT小作農の現場 ~2000年代の原風景~
1. 導入:亡命先としての「デジタル」
私が「絵を描くこと」から逃げ出したのは、そこに正解がなかったからだ。
20代前半、美術系の専門学校でグラフィックデザインを学んでいた頃、私は常に「評価」という名の幽霊に怯えていた。 デッサンが正確でも、構図が完璧でも、「なんか違う」の一言で否定される世界。そこには論理的なフィードバックループが存在しなかった。どれだけ手を動かしても、それが積み上がる「資産」になるのか、単なる徒労に終わるのかが判別できない。 というのは体のいいいいわけで、、結局は、創作というある種ハードな、タフな作業と少し距離を取りたかった、というのも正直なところなのだが、
もう一つ、感覚的には、世間からの目 世間体、 まあ、友達からどうみられるというのはそんなに気にならないんだけど、 とくに身内、親戚から、就職もしないで、バイトで、絵とかマンガって、、という目で見られる空気がまあまあ、専門学校にいってたときから辛かった、 幸い、親戚いい人たちばかりだから、直接そう言ってくる親戚はいなかったんだけど、
しかし、まあ言ってみれば、そういうことやらの不確実性に、私の精神(メンタル)は耐えられなかった。
だから、IT業界への転身は、私にとってある種の「亡命」だった。
プログラミングコードは嘘をつかない。書いた通りに動くし、間違っていればエラーを吐く。そこには主観の入る余地のない、冷徹だが公正な論理(ロジック)があるように見えた。「0か1か」の世界。努力が技術として蓄積され、機能として社会に実装される。これこそが、私が求めていた「地に足のついた実利」だと信じていた。
時は2000年代中盤。世間では「IT革命」という言葉がまだ手垢にまみれる前で、ライブドアや楽天といった新興企業が、旧態依然とした日本社会のOSを書き換えようとしているように見えた。私もその末端で、新しい時代の担い手になれる──そんな青臭い期待を抱いて、私はある会社の門を叩いた。
仮にその会社を「Platis」と呼ぼう。
私が配属された現場は、メディアで目にするような、バランスボールが転がる開放的なオフィスではなかった。都内の雑居ビルの一室。窓は締め切られ、積み上げられたサーバーマシンの排熱ファンの音だけが低く唸っている。空気は淀み、デスクにへばりつく先輩社員たちの背中は、未来を見ているようには見えなかった。
そこで最初に覚えた違和感。それは、この業界の商品が「技術(テクノロジー)」ではないという事実だった。
見積書に踊る「人月(にんげつ)」という単位。 1人が1ヶ月働くことで発生するコスト。それがこの業界の通貨だった。 どれだけ効率的なコードを書いても、どれだけ画期的なシステムを構築しても、顧客に請求されるのは「何人、何ヶ月座っていたか」という対価だけ。
「あれ、おかしいぞ」
エンジニアとしての私の脳内で、最初のアラートが鳴った。 私は高度な技術職に就いたつもりだった。しかし、この構造はなんだ? これは江戸時代の土木工事の「人足出し」と何が違うんだ?
私が売っていたのは「知恵」でも「技術」でもなかった。 若くて健康な、24時間稼働可能な「肉体というリソース」そのものだったのだ。
美術の世界の「評価の理不尽さ」から逃げてきた私は、ここで別の理不尽に直面することになる。それは、人間を「交換可能な乾電池」として扱う、日本型IT産業という巨大なシステムエラーだった。
(続く)