ショーペンハウエルが現代日本に警告する「読書の毒」—「本の洪水」時代に古典を選ぶ理由

先日、哲学者ショーペンハウエルの『読書について』を読み終え、大きな衝撃を受けました。その内容は、現代の私たち、特に「本の洪水」の中で生きる日本の読者に対して、あまりにも厳しい、しかし核心を突く警告に満ちていたからです。

書店に行けば、毎日大量の新刊が平積みされ、インターネットには「読むべき本リスト」が溢れています。この情報過多の時代に、私たちは「読書の迷子」になりかけていないでしょうか。ショーペンハウエルの主張は、この飽和状態から私たちを救い出す「賢い読書」の基準を提示してくれます。


1. 「考える力」を奪う多読と「悪い本」への鉄槌

ショーペンハウエルが最も厳しく批判したのは、「多読」と「悪い本」です。

彼は、「書物を読むことは、自分の頭で考えることの代用品になってはならない」と主張します。質の低い本、すなわち流行や世論に迎合して書かれた本を読み漁ることは、「時間の浪費」に終わるだけでなく、読者の「考える力」を蝕み、精神を麻痺させてしまう「毒」だと断じます。

彼の時代にも既に本の氾濫があったわけですが、現代の状況はその比ではありません。私たちの精神は、日々、大量の「情報」という名の毒に晒されていると言えるでしょう。


2. 古典の絶対的な価値:時間の試練が保証する普遍性

では、何を読めばいいのか。彼の回答は明確です。「古典」です。

彼にとっての古典とは、一時的な流行や刹那的な興味で書かれたものではなく、数十年、数百年という「時間の試練」を生き延びた書物を指します。時代を超えて読まれ続けるという事実こそが、その内容の普遍性、深さ、そして質の高さを、人類の歴史が証明した揺るぎない保証なのです。

古典を読むということは、その時代の「最高の精神」と直接対話する行為です。それは、自分の思考を深め、人生の本質を見抜くための「栄養」であり、精神形成の土台となります。古典が私たちに提供するのは、すぐに陳腐化する「情報」ではなく、いつの時代にも通用する「叡智」なのです。


3. 「本の洪水」だからこそ古典が救いになる

ご指摘の通り、現代の日本は出版点数が世界有数の「本の洪水」の中にあります。毎日大量の新刊が発行されるこの環境は、ショーペンハウエルが批判した状況をさらに深刻化させています。

書店に並ぶ大量の新刊の中から「本当に価値のある本」を見抜く労力は、計り知れません。多くの本は、刊行から数年で忘れ去られ、情報として陳腐化してしまいます。ここで古典の「相対的な価値」が極めて重要になります。

私たちにとって、時間は有限です。この限られた時間を浪費しないための最も確実な方法は、「失敗の少ない投資」をすること、つまり、時間の試練を乗り越えた古典に手を伸ばすことではないでしょうか。古典は、質の低い本を選んで精神を消耗するリスクを、最小限に抑えてくれます。

もちろん、現代の同世代の作家の著作には「時代の息吹」や「現代的な問題意識」を知るという大切な価値があります。しかし、「普遍的な精神の形成」という点においては、古典の地位は揺るぎません。


結論:私たちは何を「選ぶ」べきか

ショーペンハウエルが私たちに教えてくれるのは、「何を読むべきか」という積極的な行動よりも、「何を読まざるべきか」という厳格な取捨選択の重要性です。

現代の私たちは、情報を遮断するのが難しい時代を生きています。だからこそ、意識的に、「読む本」の質を厳しく吟味しなければなりません。

あなたの読書は、「自分の頭で考えること」を助けているでしょうか、それとも妨げているでしょうか?

一時的な流行に流されることなく、意識的に「時間の試練を乗り越えた本」に手を伸ばす。それこそが、情報過多の時代を賢く生き抜くための、最良の読書術と言えるでしょう。

← 一覧に戻る
← 『阿部一族』森鴎外 夏目漱石「道草」 →