夏目漱石「道草」

ブックオフで110円だった、 そして100円引きクーポンを使った、 そして10円分、ポイントから支払った

なんだか0キロカロリーみたいだ、

でも、これだけの名作、かつパブリックドメイン化している作品にはいいのかもしれない、 ちゃんとレビューすれば、許してもらえるかもしれない

不思議だ、ずっと、夏目漱石の作品ってとらえどころがないものが多くて、 かつ難解な部分もあり、 自分の人生経験が経験が足りてない部分があり、 読解力が足りてない部分もある、

いろんな要素があって、 読みにくい、読めない部分が多い

スケッチ的に書き出していくことが大切なので、 書いていくが

漱石自身がもともと、学者であり、半官半学半自分 みたいな、unbelongな人であり、

アイディンティティ迷子おじさん な状態だったのかなと、私は解釈している

いろいろ、大学からの研究員として、留学したり、 プレッシャーあったり、 教員やったり、記者っぽいとこにいたり、

キャリアの最初のほうは、「猫」は そういうものがありつつ、テイクオフしていくフィールがある 三四郎にしてもそうだが、

一方、後期の作品は重力に従い、着陸し地べたの、 現実的な視点で書かれていくから、 地味だし、 題材も書き尽くして、もう書くこともあんまないフェーズのテンションでもあるし、

まあ、ひらたくいえば、表面的には読み物としてけっこうつまんない部分が多い、正直

メンタルやばいのかなっていうくらい、現実的なめんどくさいこととか、 道草での、顔も合わせたくないような、 よくわからん男と顔を合わせないといけない、今日も みたいな、憂鬱トーンで始まるし、

奥さんとは、とくに話すこともないし、 自分がとくに明るい気分でない時、 頑張って話しかけても、 そういうときはもう、うまくいった試しなんてないし、 そういうときは、さらに話さないことになるしな−

みたいな、どうしようもない閉塞的な日常と 心象風景を書いていくところからはじまる

なんなんだこれ

あまりにも、日常で、 あまりにも、退屈で、 あまりにもどうしようもないことを書いているので、

結局、結論から言うと、読了していないで放おってしまった

キャリアと技術がカンストした文章家が至る状態の作品だ、 おそらく、作家自身も これ以上、同じように、青春期、起承転期のようには書けないなと感じていたのだろう、

この境地になった作家、作品はもはや殿堂入りしている、 「こころ」前後で確立した、完成した文体で とくに、終わらせることもないような、日常の常態をつらつらと書き続けてる、

ショウペン ハウエル「読書について」 を引用するなら

文章、作家には2種類存在がある 題材のために書かれるもの 生活のために書かれるもの

こういう視点から観るなら 「道草」は 生活のために書かれたものの要素が大きい

当代一の売れっ子作家にはなった夏目漱石も 生涯その経済が楽になったようではないし、

編集部のほうも、仕事を切らなかったんだろう

ある種、人生として、作家として晩年をそうした ちょっと、惰性で生み出された作品のようだ

読み手、受け取り手としては

そういう作品をどう扱うかは、その人次第 その時の状況次第だ

一般には、若いときにはとくにそういう作品には惹かれない

革新とは遠く、枯れた作家、作品は一般に評価されにくい

熱量や青春がない作品は読まれにくい

だが、しかし、 読み手として、自分が40代になると、見方は変わってきた 読みてもまた、青春期を終え 情熱が尽き、 しかし、思ったよりまだ、人生の残りの時間を過ごさなくてはならないと、ふと立ち尽くす時期

そんな状況においては、 枯れた作品が、 そして”個人的などうしようもない退屈な日常”に 向き合っている作品にふれることは、不思議な感覚だ

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